先生になるのは、昔も今も並大抵では無い。
昭和30年過ぎた頃教員の、資格試験を受けた事がある。家庭科「今の保健体育」である
合否の発表を見に行っら、私の前の現役短大生は、全滅に近かった。卒業
後5ねん会社に勤め、結婚育児で10年近いブランクがあるので、駄目だと思って
いたのに受かった、面接の時、信じられない言葉を聞いた。「コネはありますか」だった、
家庭科は定員が少ないので、無理でしょう。その時自分の考えの浅い事を思い知った。
その頃は未だ足もましで、ただ足に体重をかける事は厳禁だった、子供を抱いたりお
んぶしたり出来ずもっぱら、乳母車で動いた。その時何を考えて教員になろうとしたのか?
結婚してすぐ~暴力は始まっていた。障害者を産んだ母は娘の子育ての手伝いをして
くれた。可哀相だと泣いていた。でも辛いのは私で母は代わりにはならない。結婚も
する気は無かった。母をなじったのはそんな時だった。親不孝な娘である。家庭の
事情で見合いをすることになった。先に結婚した妹が親子三人転がり込んできて、末っ
この妹との居場所がなくなったためなのである。世の中も人生も思うようには行かない。
その内足が痛み出し、大腿骨を切り位置を変える手術をして8ヶ月も入院した。母が
ずっと付いてくれた。娘は6年生にjなり主人と二人で留守番をしてくれた。主人も仕事と
子育てでのストレスで私にあたり泣かされた。仕方ないと耐えた。
その後人工関節が出来15年後又手術、15ねんか20年の耐用年数なので痛みが
でたら、やり直しをしなければならない。もうとうに過ぎたが何とか持っている。
障害を持つ身としては、自分で出来る事はしているつもりなんだけど、おたおた
しているのが、我慢できないらしい。虐待されて生きるより、一人で介護保険でお世話
になりたいと切実に思い、その方向に進みつつある。自分が確りしないと、泣き寝入
りで生を終える事になる。それを絶対阻止しなくてはならないのです。この成り行き
は、ブログに確りと残しておきます。今の所進展なしです。
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